「ペイル・コクーン」と「ガルフォース」のあれこれ

吉浦 康裕監督作品のアニメ「ペイル・コクーン(PALE COCOON)」を、ちょっとぶりに見たいなーって思って、見てみたんですが、なぜか涙が多めに出てしまいました。その理由はよくわからないんですけど、たぶん「歴史が一度途絶える」すなわち、私たちの歴史が何らかの理由でいったん途切れることを前提としている部分に、何か引っかかりともに、納得してしまう部分があるからなのではないかと思っています。

アニメやまんがに限らず、小説、ドラマ、映画でも現在の人類の歴史の「終焉」は度々描かれています。そして、それが一定の理解を得られているということは、それが一定の現実味のある解釈であると認知されているのだろうと思います。そのような統一的な認知があるのにもかかわらず、人類の争いの歴史は今も続いています。

そんな「現在の歴史」の途絶えた先にある「ペイル・コクーン」の世界を見ていると、それでも人間が人間である部分はそのままあって、いろいろな情報を受け継いで、そして再発見していくわけです。そうやって考えると、今、自分がいる場所ややっていることの意味なんてものを考えてしまい、複雑な気持ちになります。

方向性の違うアニメなんですが、初めて「GALL FORCE(ガルフォース)」宇宙章の1作目「GALL FORCE ETERNAL STORY」を見たときの、なんともいえない絶望と希望を思い出します(「GALL FORCE」の宇宙章は、その時代の人類の終焉と創世の物語です)。

結構アニメからいろいろな影響を受けているなぁ、と思った、というお話でした。

追伸

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2013/09/23追記

説明不足で意味不明な部分の修正とネタバレに類する可能性のある部分のカットをしました。

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