オープンソースは自由だけど、それほど自由にはできない

OSS-DB最前線~2013秋~レポート PostgreSQL 9.3の新機能を解説クラウド Watch」という記事を読んでいて、直接この記事には関係ないのですが、私にとっていつも少し気になっている論調が目に入りました:

基調講演前に開会あいさつで登壇したLPI Japan理事長の成井弦氏は、「企業が生き残っていくためには、差別化が必要である。しかし業界標準クローズドソフトウェアの“使用法”で差別化ができる時代は終わった」と述べた。

ここでいう業界標準クローズドソフトウェアとは、オープンソースソフトウェア(OSS)ではないソフトウェア全般を指している。1つのベンダーの技術に縛られたソフトウェアは、技術的な限界やコスト的な限界は、提供しているベンダーにしかコントロールできない。自分たちでソースコードを触ることのできないクローズドソフトウェアを“使用”するだけでは、企業が独自性や優位性を担保することは難しいと、成井氏は指摘しているのである。

確かにオープンソースソフトウェアはカスタマイズをすることが可能です。ただ、この記事で取り上げられているPostgreSQLのような大規模ソフトウェアになると、普通の企業が自前で必要な修正や改変を加えて使い続けるのは非常に困難です。最初に手を入れるのも困難ですし、その後のバージョンアップ(セキュリティ関係の改善などを含む)についていきながら、自前で行った修正や改変の整合性を取り続けるのは、さらに困難が伴います。これらのリソース(≒人かカネかその両方)を投入し続けることができるだけの体力のあるようなほんの一握りの企業でなければこれを実施することは、事実上できません。

オープンソースは確かに自由ですが、実際にはそれほど自由にできない、という現実がそこにはあったりします。なので、オープンソースは自由だ、という部分だけが強調された論調を見かけると、どうも、もやもやした感情が呼び起されてしまいます。

実際、自前でオープンソースソフトウェアにコンフィグレーション変更とビルド程度ではなく、本格的に手を入れて使っている使っている例は全体の1割もないんじゃないかと思います(Red Hatなどのベンダーが手に入れたのをそのまま使用することは、自前で手を入れることには含みません。なぜなら、エンドユーザーが自前で手を入れるということはそういうことではないからです。ベンダーが提供するものをそのまま使用するのであれば、それはクローズドソースであっても変わらないからです)。

それが、理論上は自由ではあるけど、自由にならない現実を映しているのではないかと思います。

※オープンソースを否定しているわけではありません。オープンソースが自由だと過度に強調されることに対する感想です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です