あれから3年…

2011年3月11日に発生した東日本大震災から、早いもので3年が経過しました。一番の被災地であった東北方面の報道が多いのですが、ここでは私の視点での震災について書いてみたいと思います。

当日の記憶は今でも残っています。現在の仕事とその前の仕事との間ということで、私は自宅にいて、少し遅い昼食を摂ったあとで、チャットをしながらオンラインゲームのファイナルファンタジーXIに接続をしたまま、キャラクターを放置していました。私のキャラクターがいたワールドでは、外国人の皆さんはジュノ港、日本人の皆さんはアトルガン白門に分散するという状況でした。

私の所属しているリンクシェル(他のゲームでいうとことのいわゆるギルド)は、言語を問わないところであったのですが(基本的に日本語と英語が使われており、時々カナダ系の人がフランス語を使うようなところでした)、日本語のシャウト(shout:叫び→一定の範囲内にいるキャラクターに対してメッセージを送る機能)をメインで見るためということもあり、アトルガン白門にキャラクターを置いていました。

ただ、ゲームをメインとしていなかった時間であり、主にIRCでのチャットと読書に重きを置いていました。そして、その「時」を迎えました。3年前のあの時間です。

最初は数日前から繰り返されていた地震(あとから思えば余震)だったので、「またか」と思っていたのですが、当日のその揺れは従前のものとは違いとても大きなものでした。そして、持続する時間も長く、しばらくして私は自室より近くにある駐車場に避難をしました。同じように近所の皆様も避難をしてきており、そこで数時間を過ごすことになりました。

携帯電話の通話は不通になったものの、メールに関してだけは連打していればそのうち送ったり受信で来たりしたことはとても心強いことでした。

しばらくその駐車場で地震の状況を確認しながら待っていました。遠くから響いてくる地鳴りを聞きながら、数時間(ちょっと時間が定かではないのですが、おそらく2~3時間くらい)くらい待機してから、自室に戻りました。そして、パソコンをシャットダウンし、近所の鉄筋コンクリート建ての建物に避難しました。

そして1夜をそこで過ごし、その後自室へ戻りました。

部屋は高く積み上げていたもの(主に本と各種箱)がすべてフラットに降り注いだ世界となっていました。別に何かを失ったわけではないのですが、とてもショックだったことは覚えています。この状況で、何枚か撮影をしました。現在でもその画像は残っています。

それよりもショックだったのは、避難先や自宅へ戻った後のアナログのテレビで見た津波や原子力発電所の状況です。これについては個別にコメントをするのがはばかれるほどに「リアル」すぎる情報として受け取りました。今でも各種のショッキングな状況が目に焼き付いています。

上でも書きましたが、今の仕事と前の仕事の合間ということで、一日中テレビやネットに触れ続けることができ続けたという、特異な環境ゆえであると思います。

そんないろいろなことを思い出す「あの日」から3年が経過しました。

現在は「あの日」の当日の感覚ではなく、普通の感覚に落ち着いています。それは「あの日」から数か月後とあまり変わっていないような気もします。実際に大きな地震とその後の原発事故で避難をせざるを得ない方々にとっては、こんな感覚ではなく、現在に続く「あの日」であったのであろうと思います。そして、多くのみなさまは現在でも「あの日」の先にいらっしゃると思います。

そんなことをいろいろと考えながら、そのことに対する明確な答えのない自分がいます。それが、現時点での私の3年目です。気づいてみれば「あっという間」でもあり「ようやく3年」でもある、そんな感じです。

うまく言葉に表すことができません。

それでも、「あの日」私はテレビ越しにリアルタイムで見ていたんだという強烈な記憶が残っています。

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