「国民機」はPC-9800シリーズのことではない

はじめに

皆さんは日本電気(NEC)がかつて販売していた「PC-9800」シリーズをご存知でしょうか? 一時は当時の「パソコン(パーソナル・コンピューター)」として販売されていた日本のマーケットで90%以上のシェアを持っていたとも言われる化け物商品です。

このPC-9800シリーズを「国民機」と呼ぶ向きがあります。これが適切ではないということについて説明したいと思います。

そもそもなぜこのコラムを書くことにしたか、先に説明をしておきたいと思います。

前述の日本電気の販売していたPC-9800シリーズの初代である「PC-9801」が国立科学博物館が認定する「未来技術遺産」として認定(リンク先はPDF)されました。

これを紹介する私の目についた記事を「国民機」と呼ぶか否かを区分として分けつつ、紹介したいと思います:

このように一部メディアで「PC-9800シリーズ」を指して「国民機」と伝えている記事が見受けられたことによります。

「国民機」とは?

かつて、巨人のごとくパソコン業界に立ちはだかっていた日本電気が販売していたモンスター商品にPC-9800シリーズがありました。これは一般に「PC-98(ぴーしーきゅうはち)」や「98(きゅっぱち・きゅうはち)」などと呼ばれていました。同社の役員がテレビで発言をする際には「PC-9800シリーズ(ぴーしー・きゅうせんはっぴゃく・しりーず)」などと発言していたことを覚えています。

このPC-9800シリーズの市場へ切り込むためにセイコーエプソンが作り出したのが、PC-9800シリーズの互換機である、「PC-286」シリーズです。このシリーズは紆余曲折を経ながら「PC-386」シリーズ、「PC-486」シリーズ、「PC-586」シリーズなどと展開していくことになりました。

このシリーズの下位3ケタの数字は、主に該当するIntel Corporationの「80286」シリーズ、「80386」シリーズ、「80486」シリーズおよび「Pentium(通称として80586とも呼ばれた)」シリーズを搭載していることを示しています。ただし、PC-286シリーズの一部は80286シリーズではなく、日本電気が設計・販売していた「V30」を搭載していたものもあります。

このセイコーエプソンによる互換機を同社が新聞紙面や雑誌などへ広告を出す際に使用したのが「国民機」という印象的なフレーズであったのです。このため、この時期にPC-9800シリーズの影響範囲内にリアルタイムでいた人たちの間の中では「国民機」のフレーズは、ほぼ間違いなく「セイコーエプソンが広告で使用しているマーケティング用語」としての認識を持っていたものなのです。

月刊ASCII APRIL 1990 No.154に掲載されたEPSON PC-386Mの広告。
月刊ASCII APRIL 1990 No.154に掲載されたEPSON PC-386Mの広告。
「国民機」というフレーズが使われている。

セイコーエプソンの撤退

しかし、日本国内市場のみをターゲットとした規格のパソコンを製造する際にかかるコストを内需のみで吸収しなければならなかった日本電気とセイコーエプソンのパソコンは、海外で勢力を伸ばしていたIBM(International Business Machines:インターナショナル・ビジネス・マシンズ)が設計した「PC/AT」を祖とする規格による圧倒的な市場規模によるコスト・パフォーマンスに裏打ちされたパソコンとの価格競争に巻き込まれていくことになります。

単純に価格だけを見れば国内市場向けの日本独自規格のパソコンは海外の多くの国で展開されていたパソコンよりも見劣りする事態となりました。特に大きなショックを与えたのは「コンパック」が1992年10月ごろに日本で大々的に告知した低価格モデルです。このモデルの投入をもって「コンパック・ショック」とも呼ばれています。

これに対応するために日本電気は一気に価格を下げる対応を実施することになります。これによって居場所を失ったのがセイコーエプソンによるPC-9800シリーズの互換機です。日本電気よりも同スペックで安価であることを存在理由としていたのですから、下のPC/AT互換機、上のPC-9800シリーズという状況で、立ち位置が狭まってきてしまってはビジネスを継続することができなくなります。

これによって、セイコーエプソンは1995年6月の「PC-586RJ」を最後にPC-9800シリーズの互換機路線を放棄(撤退)し、PC/AT互換機路線へ舵を切ることになりました。

「国民機」の誤用の広がり

日本電気もPC/AT互換機からの突き上げに耐えられなくなり、1997年10月にはPC/AT互換機からレガシー・デバイスを取り去った「次世代機」として「PC98-NX」シリーズを投入します。これによって、日本電気の主力機種からPC-9800シリーズが外れることになります。このようにして、一般的なパソコン購入客層の前からPC-9800シリーズが消え去ることになります。※2

このころから、PC-9800シリーズを振り返るコラムやネット上の書き込みの一部で同機を「国民機」と表現するものが広まり始めます。最初は気になるほどではなかったのですが、2016年9月8日現在では無視できないほどの勢力となっています。

これはセイコーエプソンが広告で「国民機」の広告をしなくなったことで、「国民機」というイメージがセイコーエプソンが販売していた互換機の元となる日本電気のPC-9800シリーズへ移っていったという、なんとも皮肉な展開であるように思われます。特に、PC-9800シリーズが一時は9割のシェアを持っていたとされるだけに、「国民機」といえばそのPC-9800シリーズを連想する人々が増えたということなのだろうと思われます。

セイコーエプソンが「国民機」で訴えたかったもの

広告に「国民機」を訴えたセイコーエプソンが訴えかけたかったものはなんでしょうか?

これは私の推測になるのですが、「高価な日本電気のはPC-9800シリーズは高収入な個人や大手企業向けのもの。それに対してセイコーエプソンの98互換機はすべての国民へ向けたもの」という意図があったのではないかと思えるのです。

そうでなければ、圧倒的なシェアを持つ日本電気の製品に対して「国民機」を名乗る意図が理解できないのです。

まとめ

このように「“国民機”はセイコーエプソンが販売していた98互換機に対して明確な意図をもって命名したマーケティング用語」であると思えて仕方がないのです。それを後年の人々がその語感からPC-9800シリーズに対しての呼称だと誤解してしまうのはやむを得ない面があるにしても、当時を知るものとしては「それは違う」と指摘したくなるのです。

そのため本コラムを書いてみました。少しでも誤解が解かれると嬉しく思います。

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2017年1月1日追記

  • 実際に「月刊ASCII APRIL 1990 No.154」に掲載された「EPSON PC-386M」の広告写真を追加掲載しました。

  • 記事自体には「国民機」という記述はないものの、サイト内の「国民機」とするタイトルを持つ記事へのリンクを持っているため「国民機」と呼んでいる分類としました。
  • 企業や特定市場向けには2003年9月末日まで受注を続けていました。

「国民機」はPC-9800シリーズのことではない」への2件のフィードバック

  1. 墨森

     遥か30年近く前、EPSONのPC-286USに40MBのHDDを接続して使っていた者として、興味深く拝見いたしました。
     「国民機」のフレーズは、確か独フォルクスワーゲンの由来に引っ掛けて生まれたものと記憶しています。雑誌記事でのPC-9800シリーズへの誤用は、PC-98NXの発売時点で既に始まっていましたし、圧倒的なDOS/V機のシェア拡大に防戦一方だった当時のNEC関係者の心情に重なることもあって、そのまま訂正されることなく今に至っているように思います。

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  2. 粒焼き

    セイコーエプソンが「国民機」というマーケティング用語を採用した意図ですが、当時の自分が受けた印象は「国民の名を借りて98互換機参入を正当化する臭いがプンプンするキャッチフレーズ」でした。

    当時、海外では既にIBM PC互換機が当たり前になっていましたが、日本市場ではまだ大手メーカーが他社のPCの互換機を出すということ自体が想像出来ない時代でした。事実、セイコーエプソンの98互換機発売に対して、NECは自身も北米市場ではIBM PC互換機を発売していたにも関わらず、日本市場では徹底的な妨害措置を取ります。製品に疑義があるとクレームを入れてセイコーエプソンの新製品発表会を直前で中止に追い込んだり、自社が発売するMS-DOSのブートローダーにEPSON互換機を検出して起動しないようにするチェッカーを組み込んだり、互換機潰しともいえる対抗措置が次々に取られました。

    セイコーエプソンの98互換機発売は、現代に例えるなら、中国のファーウェイやシャオミがAppleのiPhoneを解析してiPhone互換機を発売するような衝撃がありました。

    そういう時代背景があったので、明朝体でデカデカと「国民機」というキャッチフレーズを掲げた広告を初めて見た時の印象としては「日本で圧倒的な市場シェアを独占するPC-9800シリーズというプラットフォームはもはや国民の公共財産である。日本電気といういち私企業が独占してよいものではない。NECの機種ではなく国民の機種だ、国民機だ、だから互換機を出しても許されるのだ」という、互換機を出す側にとって都合のいいロジックの臭いを強く感じました。

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